だ・か・らっ、Dia“l”yだってばさ!

これは『戯れ言』です。また、“Diary”ではなく“Dialy”です。つまり、日記に似て非なるものです。 所謂『日記』ではありません。お間違えの無いようお願いします。(^^;A

マウントは永遠なのか?

ンニーのAマウント機等について世間は喧しいが、ユーザーにとっては既存マウントの継続が望ましいのは当然であろうけれども、未来永劫続くモノなどあろうはずもなく。
銀塩時代(のとある時期に)5大メーカーと言われていた5社のマウント系譜を初出Cameraとともに見てみよう。

  • MINOLTA SR-2: 1958/10
  • MINOLTA α-7000: 1985/2
  • OLYMPUS OM-1: 1973/5 (2003年、生産及び販売を終了)


1960年直前に4社から「一眼レフ」が発売されている。この時期がRF機から一眼レフへの移行期であり、レンズ交換式RF機を製造販売していたメーカーはRF機用マウントをそのユーザーと共に捨て去っている。
1985年の所謂「αショック」の時にMINOLTAはそれまでのSRマウントをユーザーごと捨て去り、Aマウントに移行した。その約2年後にCanonも同様にFDマウントをユーザーごと切り捨てた。(Canonはそれまでも2回ほど実質的なマウント変更を行っている。特に1964年のRからFLは物理形状は同じだが、自動絞り連動機構が異なっている。) この時期はMFからAFへの移行期に当たる。


NikonはSマウントをユーザーごと捨て去った以降は物理形状が普遍のFマウントではあるが、全てのFマウントレンズが全てのFマウントBodyに装着可能なわけではない。


Pentaxは特殊で、レフ移行期にM42マウントを採用したが、1975年にマウントごとユーザーと切り捨ててKマウントへ移行した。AF移行期にはマウント変更をしていない。

OLYMPUSは特殊で、レフ機参入が1973年と遅く、またAFへの移行に失敗したので2003年にOMマウントディスコンというカタチでユーザーを切り捨てた。


レンズマウントは、「RFからレフ機へ」および「MFからAFへ」という二大転機にディスコン・新マウント移行が行われてきた。
「RF -> レフ」と「MF -> AF」の間隔は30年弱である。
現在は「MF -> AF」から概ね30年弱経過しており、「レフからレフレス(ミラレス)へ」の移行期にあると言える。
マウントの寿命は約30年だ、などと言うつもりは毛頭無い。30年と言うのは単なる偶然であるかもしれない。しかし、前回は30年程度で置き換わったというのも厳然たる事実である。つまりは、早晩現状のレフマウントが消え去ってもなんら不思議はない程度の時間は経過しているとも言える。
「RF -> レフ」の時代にはライカ(と言うかLeitz)と言う巨人が存在し、本邦の各メーカーは「とてもLeitzには太刀打ちできない」という現状認識の元にほぼ一斉にレフ機へ移行した。
現在はそのような巨人は存在していない。ゆえに、レフレスへの移行が穏やかになっていると分析する。*1
なんのかんの言いつつも、近い将来レフレスマウントへ移行するであろうと予想する。「RF - > レフ」および「MF -> AF」という二大変革に加え、「銀塩 -> デジタル」という大きな変革までも結局は受け入れたユーザーが「レフ -> レフレス」を受け入れないわけはない。

*1:その巨人LeitzはLeicaとなりつつもRF機のまま存在し続けている。ブランド商法(個人的には許しがたい汚い商法)という手段で生き残っているのではあるが。