だ・か・らっ、Dia“l”yだってばさ!

これは『戯れ言』です。また、“Diary”ではなく“Dialy”です。つまり、日記に似て非なるものです。 所謂『日記』ではありません。お間違えの無いようお願いします。(^^;A

ヒトはどこまで堕落するのか?

写真を撮影するためにしなければならないことに露出の決定がある。Filmにしろ撮像素子にしろ、ダイナミックレンジ・ラチチュードに制限がある以上適正な露出を選択する必要がある。
始めは、カンというか経験則だったのだろう。
次に露出計が現れた。カンや経験則から機械に頼るようにはなったが、これを堕落というのは酷だろう。
そして、それをCameraに搭載したモノが現れた。最初の頃は、前面にCdSが搭載されていた。つまり、TTLではなかった。Cameraになんとなく向かってくる光の量を計測していた。
TTL露出計を搭載するようになった。実際にFilmに到達する光の量を計測するようになった。平均とかSpotとか中央部重点とか、色々。
ついに、露出をCamera任せにする、所謂AEになってしまった。堕落への大きな一歩を踏み出してしまった。それでも、絞り優先とかシャッター速度優先ならば、まだヒトの判断が介在していたが、プログラムになると既にヒトの入り込む余地はなくなった。
こうなると次には評価測光が導入された。平均・Spot・中央部重点では、AEロックを使用することで適正な露出に修正する必要があった。 (と言うか、それくらいしろよ、と言いたいが。) 評価測光によって、それすらも放棄した。これは完全な堕落である。堕落以外の何者でもない。プロならば、撮らなければならないし、一瞬に賭けるということもあるだろうから、歩留まりを上げるためにはなんでもアリだろう。しかし、撮れなければ撮らないという選択肢がある素人にとっては、堕落だ。


次なる目標はFocusに移った。露出とFocusは二大要素である。これすらもCameraに委ねてしまった。嘗て、自分で露出を決定する必要のないコンパクトFilm Cameraは「バカチョン」と呼ばれていた。それにAFを搭載することで、さらにその方向へ退化した。機械としては進化かもしれないが、ヒトとしては退化だ。


ダメ写真の代表にブレとボケがあるといわれる。ピントを合わせろ・手ブレするな、という事だろう。単なる個人的な解釈だが、これはCameraに露出計が内蔵されて以降のことだろうと思う。露出はCameraに従うから概ね良好、あとはFocusと手ブレだ、と言うことなのだろう。(無論、露出計搭載以前でもブレ・ボケはダメダメだったのだろうが、これらに対する比重がより高まった、ということか。)
AFの次には手振れ補正がTargetになった。両手と顔(の一部)で三点支持し両脇を絞めて云々、なんてついぞ聞かなくなった。聞こえてくるのは、「このLensにも手ブレ補正が欲しい(欲しかった)」、「このLensには手ブレ補正がないからダメだ(買わない)」、「手ブレ補正はBody内蔵がいい」などなど。どこまで堕落すれば気が済むのだろう・・・


残るは、フレーミングとタイミングだけ。そのフレーミングにしても、光学トリミングレンズでVFやモニターを見ながら弄くる。こんなん、堕落に分類するのもばかばかしい。


次なる目標は何だろうか?
きっと、持ってるだけで勝手にZoomingしてレリーズしてくれるCameraなんじゃないか?
「このLens(Body)は自動Zoomじゃないからダメだ」とか「Autoレリーズじゃないと買う気がしない」とか喧しく聞こえてくることになるのだろうか。
写真を撮る上で、ヒトというのは邪魔なモノなのだろうか。そんなことはないと思うのだが、どんどんヒトが介在する余地が狭まる方向に向かっているのは事実だ。


とは言え、今更NIKON F2アイレベルにKMやKR詰めて、露出計持たずに使うなんてことは出来ない。露出に対するカンは完璧に欠落した。
また、室内で動き回るペットや子供を撮るのにAFは便利至極である。
堕落というのは恐ろしいモノで、二度と這い上がることは出来ない気がする。
YC LensはMFでしか使えないが、もしAF可能なマウントアダプター (or 縮小光学系が組み込まれたマウントアダプター) なんてのがでたら、或いはCONTAX AX-Digitalみたいななにかが(購入可能な金額で)出たら、AFしちゃうだろうなぁ・・・


堕落、万歳 (T^T)


#今のところ、唯一の手ブレ補正搭載だったAF-S VR Zoom-Nikkor 24-120mm f/3.5-5.6G IF-EDは光学トリミングレンズであるが故に手放したので、この点では未だ堕落していないな w