「名も無き云々」ってのはそこそこ良く聞くフレーズである。
謙遜して、と言うかウケを狙って敢えて名前を付けず、と言うより「名も無き○○」という「名」を付けたりするあざとい奴等は大勢居る。
「名も無き花」なんてのは、名前が無いのでは無く(植物学者が名前を付けずに放置するわけが無い。ま、植物学者に限らず生物系の学者は文字通りヤんなっちゃうほど貪欲なので、未命名の何かがあれば大喜びで名前を付ける。そういう奴等、もとい方々である。)「あんたら」がその名前を知らないというだけのことである。
つまり、無名というのは「名前すら無い」のではなく、有名の反対語に過ぎない。
これを本当に名前が無いと思っているアフォが大杉なのだwww
なので、したり顔で「雑草という草は無い!それぞれちゃんと名前があるのだ!(キリッ」みたいなことを言われても鼻白むだけである。
雑草というのは名前では無いのだ。意図せず生活圏で繁殖している彼等のことを呼ぶ総称なのだ。
なんつうぅか、「名も無き市井の人々」なんて表現は間違いなく「日本語の乱れ」そのものなのだ。「名前すら知られていない」という意味に過ぎないのだ。大袈裟過ぎる表現としてJAROに訴えるべき案件といえるのだ。
これを解って使っていて、読む and/or 聞く方も解っていれば問題ないのだが、どんどん前頭葉が退化し続けているらしく、双方ともに「本当に名前が無い」とか思ってるんだから世も末である。
末法思想的なアレに、地獄の業火に焼かれる的なナニがあるけれども、この事実こそがカタチを変えた地獄の業火なのでは無かろうかと思ったりするwwwww